ブログカルチャー

自分が学生の時代は、ブログの最盛期で、とりあえずほとんどの大学生が、何かしらのサイトで、しょうもない日記をかなりハイペースで量産していた。

しかしその後、フェイスブックツィッターが出てきてどんどん文章は短くなり、インスタやTikTokでついに文章が消えた。

で、最近ふと思うんやけど大学時代がブログの流行ってた時代とモロ被りしていたのは割と面白かったなと。

SNSも、mixiGREEがようやく出てきたくらいの年で、別にネット上の人づきあいみたいなのもめんどくさく無かったし、そもそもサークルもやってなかったので、人間関係の輪も非常に狭かった。

ゼミとかサークルのホームページにメンバーのブログのリンクがよく貼ってあったりして、名前は知ってるけどあんまり知らない人のブログなんかを見つけて、ちょっと日記を読んでみたりするときの、あの感じ。今の時代に代わりになるようなものはないよね。

ブログって日記やし、冷静に考えて、皆んながネットに日記を書いて、皆に公開してたのって、今からすると異常だったけど、知ってるけど喋ったことがない色んな人の頭の中をのぞけて、それで結構音楽とか映画とか色々影響受けたりしたし、めっちゃ面白い時代やったと思う。

大学時代は2004年から2008年だから、もう大学生になったのは20年前か。早いな。あっという間すぎる。下宿先の町に来た日のことは今でも割と覚えてるわ。初めて一人暮らしの部屋で寝る夜はとても不安だった。

ブログカルチャー再燃しないかなー

 

 

 

アーバンノスタルジーの正体

◎学生時代、東京への就職が決まって、東京に来るのがちょっと怖かった。向井秀徳が歌う冷凍都市的な、ドライなイメージと、知り合いがいない孤独感、あとは自分が果たしてちゃんとしたサラリーマンになれるのかという不安。そんな気持ちがないまぜになった、若者特有の憂いだった。

◎そして来年でついに自分も東京に来て10年になる。東京に知り合いもできて、仕事も多少は形になってきて、結婚もした。当然東京にも慣れてきて、むしろ今では東京がホームタウンのようだ。

◎しかし、時折出張で地方都市に行ったときに感じる、あの人の暖かさは何だろう。三重にいたとき、愛知にいたときには感じなかった、「田舎に来るとホッとする」感覚が、この10年で備わったようだ。

◎ある時ふと、自分は成長して東京に慣れてきたのではなく、単に「冷凍都市」のイチ構成員になってしまっただけなのではないか、と思った。そういえば、学生時代、特に大学時代の自分は、自分で言うのもなんだけど、誰もが認めるいい奴だった。今、自分にそんな印象を抱いている人は何人いるだろう。自分自身さえ、そう思っていないのだ。

◎これは成長なのか。社会に出て、そこそこハードな環境に身を置いて、自己防衛本能の一種として身に着けた性格もあるだろう。でも、なんつーか、これを成長とは呼びたくないし、たかが仕事なんかに振り回されて、自分の性格を変えてしまうのなんて、めっちゃダサい。

◎また、昔の素敵な自分に戻るためにはどうすればいいだろう。大学時代の日記をみてみると、当時は自分の性格、好奇心、友人関係などあらゆることに満足しており、自分で自分に非常に自信を持っていた。今は、そんなの一切ない。

◎環境が変わる中で、変わらずに居続けるのは難しい。というよりむしろ、本来は環境に合わせて変化を続けることは、社会人として必要なスキルの一つである。でもね、自分が大学時代に書いた最後の日記には、「今の自分は最高だから、社会人になってもずっと変わらずにいたい」という決意が述べられているんだよね。これがまたいい文章なんだよ。みんなにも見せてあげたいくらい。

◎10年は一つの区切りだ。原点回帰。次の10年の目標だ。